保津川下りのひととき

緊急事態宣言もようやく解除となりましたが、それでも閉鎖されている空間には行きにくく、ならば広々とした大自然に囲まれて、あまり人が密集していない場所で、少し足を延ばしていけるところ、ということで、今日は子供を連れて保津川下りを楽しんできました。
そもそも保津川は京都府の丹波という山間の土地と京都の中心地を結ぶ水運として使われていました。平安時代には養老律令という法律があり、この法律に関する細則として「式」というのが出されていました。927年完成の延喜式という式に、さまざまな日常生活の細かい規則が記されており、その中に保津川水運を使って、山で切った木を筏で京都の町中へと運ぶ運賃が細かく記録されており、この川が古代から物資の運送に使用されていたことがうかがえます。しかしその頃の保津川まだ険しい山間を急峻な流れでめぐり、難所も数多くあり、巨岩、巨石もあって、安全な水運ではありませんでした。時代が下って江戸時代初期に、京都の豪商であった角倉了以が、多くの人たちの犠牲と多大な費用をかけてこの険しい場所を開削し、川幅を広げて難所をなくして安全な水運としました。これにより、丹波でとれた野菜などの食料や材木などを安全に京都の中心地に運送することが可能となったのです。近代に入り、鉄道の敷設により物資の輸送を貨物列車でするようになってから、一時船頭さんたちがリストラになった時期もあったようですが、現在は130人ほどの船頭さんがおられ、たくみに漕がれる舟で観光客は保津川下りを楽しむことができます。京都駅からトロッコ列車で亀岡へ、そこから保津川下りで嵯峨嵐山へ、というのが京都の観光客には人気のモデルルートとなっています。
舟は11時30分ごろに出発し、最初は亀岡の郊外をゆらりゆらりとおだやかな流れに沿ってめぐっていきましたが、次第に、山々に囲まれた風景となり、舟も速くなって流れもところどころで舟の中にまで水しぶきが入ってくるような急流もあり、舟がギリギリ通れるぐらいの岩と岩との間をすりぬけていく場面もありました。愛宕山から流れてくる小さな川のしぶきがあがっているところなどや、河岸に子猿の家族がいたり、空には鷹が飛んでいたり(トンビはよく見るそうですが、鷹は1年に数回しか見られないそうです)、自然を満喫できました。舟の一番前に櫓をこぐ船頭さんがいましたが、実はこの方が、車でいうところのエンジンだそうで、前と後ろにいる2人の船頭さんが長い竿を使って岩や川底を押しながら舟の行く方向を調整し、いわばハンドル操作をされているとのことでした。新人の船頭さんは最初、師匠格の船頭さんの見習いをして、約1年かけて一人前と認めてもらって独り立ちされるそうです。12時30分ぐらいには、私も子供もおなかがすいてきました。ちょうど売店船というエンジンのついた船がやってきてくれて、みたらし団子を買うことができ、うまいぐあいに腹の具合も復調し、無事嵐山に到着。約1時間45分の川下りでした。今はトラックに載せて舟を亀岡まで戻しているようですが、一昔前は、倍の時間をかけて屈強の船頭さんが人力で運んでいたそうです。
長い緊急事態宣言の間、外出もなかなか控えていましたが、ようやくワクチンの効果もでてきたのかコロナも第5波は終息しつつあるようです。第6波に入る前に、私も子供も久しぶりの自然にふれる外出を堪能してきました。

(追伸)舟に乗っている間に、病院から、「抗体カクテル療法の入院患者さん、明日受け入れ可能ですか」との連絡を受け、10分ぐらいしてから再び、「もう一人可能ですか」と連絡を受けました。いずれも「了解です!」と答えました。自然からパワーをいただき明日からまた頑張ります。

Follow me!