AI(artificial intelligence;人工知能)の時代

先日、AI問診というソフトを電子カルテに導入し、病院内で話題となりました。初診時に病名がわからない時点で、医師が最初にやる作業は問診です。今日は、どのようなことで受診されましたか?いつ頃からそのような症状がありますか?、、、という医学的な質問です。ドクターGといわれる有名な医師は、この問診を駆使することでかなりのところまで診断にせまれるといいますが、もちろん私も内科医として問診は非常に重要な診断のプロセスであると思っています。ところがこのAI問診というソフトは次々と質問を投げかけて患者に回答させ、次第に診断に迫る内容へと質問を変えていき、考えられる診断名を提示するというものです。診察前にアイパッドであらかじめAI問診を行っておいてもらうと、問診内容が瞬時に電子カルテ内に入力でき、医師はそれをみて補足の問診を加えることで問診時間が短縮され、仕事の能率化が図れる。いずれ近い将来は、考えられる診断名のみならず、その診断のためにどのような検査が必要かということも提示してくれる見込みもあるとのことです。またこのソフトを使用していくと、このソフトの学習効果により、ますます診断能力を増してくるようです。実は、この便利なソフトを院内採用してはと提案したのは私だったのですが、いよいよ医療の現場にもAIが入ってきたという実感があります。問診だけでなく、推奨される検査、疑われる診断名、までAIが提示してくれば、結局は、適正な処方も提案されるでしょう。するとそのうち医師の仕事はAIにとってかわられるのか、という、医師としては少し不安にもかられる思いにもなります。おそらくAIが発達すればするほど、医師の仕事のかなりの部分はAIが担う時代もでてくるでしょう。ではそのようになってもやはり人がやらなければならない医師の役割って何かなということもふと考えました。
ひとつ例を挙げてみたいと思います。話がとんでもないところにとびますが、江戸時代末期に下田のアメリカの領事館にいた総領事ハリスが江戸城登城と将軍謁見を何度も申し出た結果、ようやく1857年に謁見が実現されたときの徳川家定とハリスの会談風景が絵にされています。家定側の役人は床に腰をおろす従来からの日本の座り方をして会談にのぞみ、ハリス側には椅子が用意され、これに腰をかけています。このままではハリス側の役人が家定側の役人を見下ろすかたちになります。おもしろいのは、家定側の床面がハリス側より高くしてあり、そのため家定側とハリス側の目線の高さがほぼ同じ高さにされ、少なくとも対等の立場で会談したいという意思表示がうかがえます。人間はやはり、感情を持った動物ですから、やはり上から見下ろされるということについては抵抗があるのです。
これまで、私はこの目線の高さというのが、結構、臨床の現場でも大事なことではないかと思ってきました。患者は救急室に来た時点で、あるいは入院してベッドに横になっている時点で、すでに肉体的・精神的に苦痛をもっており、そこに、医師が上からのぞきこむように見下ろして話かけると、文字通りの「上から目線」で言われるかたちになり、患者によっては気分を害する方もいるかもしれません。すべてがそのような患者ばかりではないですが、基本的には、何とか助けてくださいというつもりで来られているのですから、ちょっとした気遣いですが、少し腰をかがめるなどして目線の高さを合わせて問診をとると、信頼感をもってもらえたように思えることがあります。もちろん私のひとり合点かもしれませんが、これからAIがどんどん進んでいったときに、最後まで人間である医師だからこそ努めていきたいことは、患者の気持ちや立場に寄り添っていく姿勢のように思います。同じものを見たり、聞いたりしてもそれに対する感じ方、反応は、人それぞれちがうわけで、相手の表情を観察し、気持ちを推し量りながら、それに寄り添って診療を進めていく。年始にむけて、この医療の原点をもう一度初心に返って見直したいと思っています。

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