昔の戸籍の話から思うこと

先日、歴史検定(略して歴検)日本史1級の試験を受けてきました。毎年11月最終週の日曜日に行われており、私はこれが終わると、今年もそろそろ年末がやってきた、という気分になります。60点が最低合格点で、これまで1級には4回合格しました。1級3回合格で修士、5回で博士、10回で大博士の称号がいただけます。自己採点では9割近くありそうで、今回の合格で博士の称号をいただけそうです。以前からどの時代が特別好きというわけではありませんが、日本史全般が好きで、毎年受けております。日本史を勉強していると、先人のしてきた事からいろいろなことを教えられます。
今回は、戸籍の話をとりあげます。日本で最初の戸籍は670年に天智天皇が作らせた庚午年籍で、当時は最初に作られた戸籍ということで永久保存する方針でしたが、残念ながら今には残っていません。その後、戸籍は律令体制が確立してくると、国民に租という税(具体的には収穫した稲)を納めさせる目的で口分田という土地を与える班田(口分田を国が与えること)のための台帳として、6年ごとに作成されることになっていました。そして庚午年籍からあとの戸籍については30年保存されていたのですが、30年経てば捨てられるのではなく、実は、東大寺など大寺院に売られたそうです。もちろん今の世の中だと個人情報の漏洩で大変な問題となりますが、東大寺はその戸籍をどのように使ったと思いますか?実は、この戸籍は、もちろん紙に書かれていたわけですが、そもそも紙の製法や墨、絵具などは、推古天皇のもとで聖徳太子が活躍した飛鳥時代の610年に百済から渡来した観勒というお坊さんによって日本に伝えられました。しかし時代が下って東大寺が建立された奈良時代にあっても、なお紙は貴重なものでした。このため戸籍が記載された紙の裏面を使って東大寺のお坊さんは、一生懸命、写経をしていたそうです。東大寺の正倉院で戸籍の裏面に写経された紙が見つかり、東大寺としては写経されている事が大切なのでしょうが、その裏面に戸籍が書かれていることがわかり、歴史学者にとっては貴重な史料となっているようです。そこで見つかった最古の戸籍は702年作成のものです。
昨今、紙については、地球環境を考えた場合、排出されるCO2を減らすためにもペーパーレス化を進めていくべきだという話があります。しかし一方で、ペーパーレス化は電力消費を増やし、結果的にはCO2の増加につながるという議論も出ています。私はそのあたりの専門ではないのでよくわかりませんが、いずれをとってもCO2の増加につながることが懸念されるのであれば、単純な話ですが、結局、紙を大切に使って無駄にしない、まだ使えるのであればむやみに捨てないことが大切なことになるのでしょうか。職場のゴミ箱は、会議資料、患者説明用書類、メモ書きでいっぱいになっており、片面使用ですまされている紙などは当たり前のように捨てられています。それを見た時に、ふと、貴重な紙の裏面を使い、頑張って写経をしていたのであろう東大寺のお坊さん達の姿を想像しています。

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