医師としての今があることの奇跡
どれだけの時間がたったかわかりませんが、今から46億年前に地球は誕生しました。海ができ陸ができ微生物から植物、動物が生まれ、恐竜の時代などを経て650万年前に人類の祖先が誕生しました。人類は猿人、原人、旧人、と進化し、1万年前から新人という現代人の原型となる者に変化しました。平和な時代や、戦いのつきない時代、多くの人が生まれ、亡くなり、今に至ります。私がこの世に生まれることができたのはこのようなとてつもなく長い時間の中で親から子、子から孫とどこかで途切れることもなく脈々とつながってこれたからこそと言えます。さらにその私が、この広い世界の中でも、日本、その中でも京都という世界中の人が訪れてみたいと思うすばらしい土地に生まれることができ、自分が受けた教育環境が整っていたこと、自分が医学に興味をもてたこと、医師になろうとして勉強できた結果、などすべてがそろった結果、今の医師である私があります。こう考えると、今、この世に生まれ医師として病院に勤務していること自体が、奇跡と思えて仕方がありません。さらにこれだけ多くの医師がいても、新しい病院への移行を経験できる医師も少ないでしょう(2年後に新病院移転予定です)。いろいろつらい経験や悲しい目にもあいましたが、私はこのことを思うと、実に幸福感に満たされます。
医師になって32年目になりますが、これまで私は多くの経験をベースに医学知識、技術、患者と接するときのノウハウなど文字で表現できることからできないようなことまで、知らないうちに数え切れないほどのことを身に着けてきたように思います。自分にとってある意味で、それらは目には見えない貴重な財産だと思っています。これが、私の死後、ただの土となるのはあまりにもったいない。自分が現役でいる間に、できるだけ後進にこれを伝えておきたい、そして、たとえAIの時代になってもどこかで、それらのほんの一部でも役に立ってくれれば自分がこの世に生を受けてたまたま医師として生きてきた意義がある、そんな気持ちでいます。
また、今ある私が奇跡であるのと同じように、ひとりひとりの患者が今生きておられることも脈々と受け継がれた長い歴史の中で生まれた奇跡の結果のはずです。そう思うと、奇跡の結晶である患者の最も大切な命と向き合うわれわれ医療関係者の使命のとてつもない重さをひしひしと感じざるを得ません。高齢化社会となり、いろいろな意味で生き方も多様化する時代ではありますが、だれが何と言おうとも基本は奇跡のたまものである大切な命を扱う仕事だということです。もはや私も院内では古株になりましたが、いつまでも研修医の時に身につけた初心を忘れずに丁寧にひとつひとつの目の前の仕事をしていきたい。以前はこんなことはみじんも考えなかったのですが、年をとってくると、そんなことを思いながら日々の診療に当っています。