物が二重に見える

問題85
67歳の男性。1年前頃から物が二重に見えるようになり、徐々に増悪するようになったため来院された。眼の痛み、四肢の脱力、感覚障害、嚥下障害などはない。
現症:血圧130/80 mmHg、P 84/分、BT 36.4℃、Spo2 98%。心肺異常なし。右眼内転障害-4、その他の眼球運動障害はない。仰臥位での60秒頭位挙上可能。10回握力に有意な低下なし。
塩化エドロホニウム(テンシロン®)5 mgを投与した前後の眼の所見を示す。


投与前

投与後

検査所見:血液検査:白血球数 5000/μL、赤血球数 521万/μL、Hb 16.0 g/dl、Hct 47.5%、血小板数 19.4万/μL。血液生化学検査:CRP<0.03 mg/dL、LDH 152 U/L、AST 25 U/L、ALT 27 U/L、ALP 151 U/L、CPK 142 U/L、T-P 7.5 g/dL、Alb 4.7 g/dL、BUN 13 mg/dL、Cr 0.86 mg/dL、Na 143 mEq/L、K 4.3 mEq/L、Cl 107 mEq/L、Ca 9.7 mg/dL、血糖値152 mg/dL、HbA1c 6.1%、TSH 2.319 μIU/mL、FT3 2.5 pg/mL、FT4 1.00 ng/dL。

問題
本患者について正しいものはどれか。2つ選べ。
(a)肺小細胞癌を合併することが多い。
(b)副腎皮質ホルモンが有効である。
(c)症状の日内変動は通常ない。
(d)胸腺腫を合併することがある。
(e)SIADHをしばしば合併する。

解説(オリジナルは『Dr. Tomの内科症例検討道場』にはないが院内で行った内科症例検討道場で症例295として扱ったもの)
理学所見では右眼の眼瞼下垂、内転障害を認めている。なんといっても複視と眼瞼下垂で始まっており、これらは重症筋無力症の典型的な初発症状と言える。また教科書的には眼の症状は通常両側性のように記載されているが、今回のように右眼の眼瞼下垂と内転障害のような片側性の所見があったり、所見は両側でも左右差があったりすることも多い。眼球運動障害が生じると、左右の眼の焦点がずれるため複視が生じる。
重症筋無力症は、神経筋接合部にあるアセチルコリン受容体に対する自己抗体が産生され、これにより神経筋伝導障害をきたす自己免疫性疾患である(図1)。具体的には、①この自己抗体が受容体に結合することでアセチルコリンの受容体への結合を阻害する、②自己抗体と受容体との抗原抗体反応で受容体の崩壊が促進される、③抗原抗体複合物に補体が結合することにより筋肉側の運動終板膜が崩壊する、などの機序が想定されている。頻度は118人/10万人で比較的多く、成人では20~40台の女性に好発するが、小児や中年男性などにもみられる。抗アセチルコリン受容体抗体は特異度100%であるため、これが陽性の場合は診断有用性が高いが、逆に以下に述べる眼筋型の半数、全身型の20%で陰性(全症例の約15%)である。陰性例の10~15%では筋のシナプス後膜上の筋特異的チロシンキナーゼ(MuSK)に対する自己抗体が陽性で、その他にも種々の自己抗体が陽性になることが判明している。抗MuSK抗体陽性例は、嚥下障害や後述のコリン作動性クリーゼを起こしやすい。抗アセチルコリン受容体抗体の抗体価は患者一人一人での病勢を反映するため経過をみるのには有用であるが、重症度と抗体価との相関関係は乏しく、抗体価を比較することによって異なる患者同士での病状の比較をすることはできない。症状に関しては、一般に眼筋型と全身型に分類される。眼筋型は筋力低下が眼筋のみに限局するタイプであり、全身型は眼の症状だけでなく全身の筋力低下をきたしたり、あるいは眼の症状がなくて四肢や体幹の筋力低下がみられたりするタイプである。具体的な筋力低下を反映する症状としては、四肢の症状として、だるくて上肢が挙げられない、足があがらずもつれる、首から上の症状として、嚥下困難、重症の場合は呼吸困難、などがみられる。眼筋の症状と違って、四肢や体幹の筋力低下は左右対称性に生じることが多いが、まれに片側性にみられる場合もある。また、全身型の初発症状として眼瞼下垂や複視など眼筋の症状が出現する場合もあり、実際、全身型の約半数は発症時には眼筋症状のみを呈し、そのうち半数以上は2年以内に全身型に進展するといわれている。典型的な症例では症状に日内変動があり、朝は症状がないかあっても軽く、夕方になるにつれて増悪するというパターンが多い。しかしこれもはっきりした日内変化がみられない場合や、日によって症状の程度が異なるという、‘症状の不安定性’もみられる。

図1:重症筋無力症における病態とその治療方法。自己抗体が抗アセチルコリン受容体抗体の場合を示す。

 重症筋無力症は、約15%に胸腺腫の合併が報告されている。特に中高年の男性に合併例が多い。その他、胸腺腫はなくても約65%に胸腺の過形成など、胸腺には何らかの異常が認められることが多い。ちなみに胸腺腫全体の30%に重症筋無力症の合併があるとされている。胸腺は主にT細胞の分化、成熟にかかわる器官であるが、成人になると萎縮する。しかし過形成あるいは胸腺腫が生じると、抗アセチルコリン受容体抗体などの自己抗体が産生されることがあり、本症の発症に関与する。胸腺腫を合併する重症筋無力症では、赤芽球癆、低γ-グロブリン血症、心筋炎、円形脱毛症、味覚異常、甲状腺機能異常(バセドウ病のことも橋本病のこともあり)、あるいは関節リウマチや全身性エリテマトーデスなどなど自己免疫性疾患や膠原病の所見や症状を合併することがある。
 診断を確定するためには、可逆性コリンエステラーゼ阻害剤であるエドロホニウム(テンシロン®)やピリドスチグミン(メスチノン®)による症状の改善の有無をチェックする。今回の場合、エドロホニウム静注により右眼瞼下垂が消失しており、重症筋無力症と確定診断できる。ただし、エドロホニウムは2~10 mg静注して約30秒で効果が発現するものの持続時間は約5分と短く、あくまで診断するための試験として使用される薬剤である。
筋力低下については易疲労性と呼ばれ、反復動作や持続動作で明らかになる場合が多い。今回の症例では、眼筋型が疑われたが、全身型の可能性をスクリーニングするため、仰臥位で頭位を挙上位に維持するという持続動作が1分間できるかどうか、握力の10回反復動作で低下がみられないかどうか、などが試験されており、スクリーニングのレベルではこれらに問題はなかった。全身型でないかどうかを最終診断するためは誘発筋電図が施行される。まず反復刺激法(反復誘発筋電図)は、運動神経伝導速度検査において反復刺激(低頻度刺激3Hzと高頻度刺激20~50Hz)を行い、発生した複合筋活動電位(CMAP; compound muscle action potential)を測定する方法である。これによって神経筋接合部の機能を評価できる。神経筋接合部障害では、神経自体の伝導には問題ないため、神経伝導速度自体は正常であるが、重症筋無力症では低頻度刺激(3Hzと5Hz)で1発目に比べて10%以上の振幅のwaning(漸減)現象がみられる。
治療の基本的な考え方(図1)は、胸腺腫合併例では拡大胸腺摘除術が絶対適応となるが、症状の改善には、通常数か月から数年の時間を要する。胸腺腫非合併例では、胸腺摘除術の有効性ははっきりしていないので症例ごとに適応を考える。少なくとも抗アセチルコリン受容体抗体陰性で抗Musk抗体陽性の患者においては胸腺摘除術の効果は明らかではなく、その場合は勧められない。一方、薬物療法としては、胸腺からの自己抗体産生を抑制するする目的でステロイドや免疫抑制剤、アセチルコリンの分解を抑制するため可逆性のコリンエステラーゼ阻害薬、自己抗体や補体の作用を抑制する免疫グロブリン大量静注療法などがあり、自己抗体や補体を除去する血液浄化療法、などもある。今回の症例のような眼筋型については、コリンエステラーゼ阻害剤とステロイドとを、一方あるいは両者併用で使用することが多い。コリンエステラーゼ阻害薬を投与するにあたっては、コリン作動性クリーゼに関して患者に説明しておく必要がある。これは、そもそも自己抗体がニコチン性アセチルコリン受容体のみを阻害するところであるが、コリンエステラーゼ阻害剤は、受容体とは無関係にコリンエステラーゼを阻害するため、ムスカリン性受容体でもアセチルコリンの作用を増強してしまう結果、気管支収縮、気道分泌増加など呼吸困難が生じるクリーゼであり、注意が必要である。全身型では、根治目的に拡大胸腺摘除術が考慮され、さらにはステロイド、免疫抑制剤などが投与される。全身型では、ステロイド導入後に一過性に増悪がみられることがあり(初期増悪現象)、クリーゼを生じるリスクもある。これを軽減あるいは予防するためには、免疫グロブリン大量静注療法を併用するか、ステロイドを少量から漸増する必要がある。初回のステロイド治療にステロイドパルス療法は推奨されない。
 解答の選択肢のうち、肺小細胞癌に合併することがあるのはLambert-Eton症候群で、高頻度反復刺激ではwaxing(漸増)現象がみられる。SIADHも肺小細胞癌で合併することがある。

解答:(b)、(d)

実際の症例では
今回の症例でまず調べなければならないのは自己抗体である抗アセチルコリン受容体抗体、もしそれが陰性であれば抗MuSK抗体であったが、抗アセチルコリン受容体抗体を測定したところ13.6 nmol/L(正常0~0.2)と陽性であった。さらに胸部CTでは胸腺腫の合併はなさそうであった。自己免疫性疾患の合併については、ANA 40倍、TSHレセプター抗体4.6%(0~10%)、TSH刺激性レセプター 102%(正常0~120%)で、特に他の疾患合併を示唆する症状もなかった。
問題文では典型的な眼筋型として提示するため10回の反復握力に低下はなかったとしているが、実際は50 kgから10回目には41 kgまで低下していた。しかし3Hzの低頻度反復刺激で複合筋活動電位(CMAP)を測定したところ、振幅の10%以上の漸減(waning現象)は認められなかった。本症例については、初診時にピリドスチグミンに反応があったため60 mg 2錠/日で開始され、その後プレドニゾロン10mg/日を併用された。以後、内服量を調整され、最終的にピリドスチグミン3錠(180 mg)/日とプレドニゾロン20 mg/日とを投与されて完全寛解に入り、以後を薬剤漸減されている

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