天橋立を訪れて

 新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、近場でリフレッシュ休暇をとるため、京都府北部の天橋立を家族で旅行してきました。この天橋立は、日本三景に数えられ、室町時代には水墨画を大成した雪舟も国宝の『天橋立図』という水墨画の画材にしていました。天橋立がある宮津市に着きますと、市街の一角に世界遺産登録促進運動と題して、地域住民150人がみんなで力を合わせて模写した『天橋立図』が掲げられていました(図1)。この雪舟の描いた眺望にかなり近い天橋立が見える雪舟観と呼ばれる展望所があるのですが、ネットでみますと、そこからの天橋立は手前の外海はよくみえるのですが、天橋立の向こうの内海があまり見えない写真で掲載されていました。あまり観光スポットとしても有名な場所ではないようです。後で調べてみると、900 mも上空でからでないと雪舟の描いた角度で天橋立をみることはできないそうです。雪舟はこの水墨画で描いた構図を、実際に目で見た風景と、頭の中で想像した風景とを融和させて描いたものと思われます。遠方の成相寺がある山も実際はかなり急峻な山岳のように誇張されています。高い視点から物を描く描き方は日本ではこれよりもっと古く院政期に源氏物語絵巻の中で、天井を取り除いて上から室内のものを見下ろす吹抜け屋台とよばれる絵の手法が確立されていますが、そのような高さとはスケールの違うほどの上空から、しかも広大な風景をみる視点になっています。これより以前に雪舟は大内政弘に招かれて、山口に滞在しています。政弘は、雪舟の水墨画のパトロンとして中国の王朝明への留学を援助しました。留学以前にも水墨画の腕は相当のものであった雪舟は、本場中国で、宋や元の時代に描かれた秘境の山川、岸壁などを画材として想像のおもむくままに高い角度から見下ろした広大な風景画を数多く目にして帰国しました。この絵の中に描かれているものを分析していくとこの絵は雪舟が80歳代の晩年に描いたものと考えられています。80歳もこえた雪舟が、山口からわざわざこの地まで足を運んだ本当の理由はわかっていませんが、ぜひ中国で学んだこの手法をこの名勝にやってきて試してみたかったのでしょうか。雪舟の水墨画には中国の水墨画にはない大胆なタッチがみられ、遠方の誇張された山々は実際はそこまで高く急峻ではないのですが、山の中腹には内海、外海がよくみえる笠松公園という有名な観光スポットがあります。私たちもケーブルカーで展望台まで行き、いわゆる有名な“またのぞき”をしてきました(図2)。そのあと、ふたたび下山してから、サイクリングで天橋立をわたりました。暑い季節でしたが、松並木が影をつくってくれており、両サイドに海があって、比較的すずしく、片道15分程度でした。道の途中には、なかよしの松、夫婦松(図3)、千貫松、などと呼ばれて親しまれているおもしろい形をした松があり、これから行かれる方には、ぜひおすすめしたい体験コースでした。

図1:地元の住民150人で完成させた雪舟の天橋立図の模写

図2:笠松公園展望台からの天橋立

図3:天橋立の松並木の中にある夫婦松

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